目次
訓練
親子教室にも慣れてきた頃、時々見かける人に私から話しかけに行きました。
とても気さくな方で本当に話しやすく、すぐに友達になりました。
その人は、私たちよりもっと前から療育を受けていて、いろいろな情報をたくさん持っていました。
その人からたくさんのことを学び、紹介していただいた医療機関に行くことになりました。
そこは、発達に問題がある子供たちの訓練をするところです。
診察を予約するのに半年待ちでした。
そこで患者さんの多さにとても驚きました。
長男よりも小さい子もたくさんいました。
みんなこんなにも早くから訓練を受けているのに私は一体何をしてきたのだとすごく落ち込みました。
もっと早くから療育を受けていればと、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
おそらく「障害を認めたくない」気持ちが強すぎたんだと思います。
しかし、次の日から「落ち込んでても仕方がない」「これからやれることをやっていこう」と夫婦で話し合い決めました。
家庭生活の変化
それからの私たちは長男のことだけを考えて生活するようになりました。
テレビの時間を極力短くし、その時間を絵本の読み聞かせに充てたり、童謡をかけて歌ってみたりとにかく脳にいいと思われることはできる限りやり続けました。
脳の発達のために。休日はたくさん遊具がある公園を調べて連れて行き、時間いっぱいまで体を使って遊ばせました。
長男もそれに答えるかのようにとても楽しく遊んでくれていました。
少しずつ睡眠もとってくれる日も出てきました。
夫はたくさんの知育本を読んで勉強したり、毎日の長男の様子を日記に書くようになりました。
その日記を読み返してみると、本当に細かく書いてあり、「すごいなー」と頭が下がりました。

新しい出会い
そしてある日、いつもよく行く遊び場で新しい出会いがありました。
その方は、その施設の管理人さんで元保育園の園長先生でした。
育児についてのアドバイスだったりいろいろ教えていただきました。
私たちはそこに行くたびに相談しました。
幼稚園選び
そろそろ幼稚園、保育園、どこに行くのか決めなければならない時期になりました。
私たちは夫の通っていた幼稚園を希望していました。
そして保険センターの進路相談の日がやってきました。
そこで言われたことは「私立、公立の幼稚園や保育園ではこの子は楽しめない、療育センターでしっかり療育を受けた方がいい」・・・と。
薄々わかっていたことですが、かなりショックで帰りの車で泣きました。夫も泣いてました。
正直この時点ではまだ療育センターがどんなところかわかっていませんでした。
初めての大病院
保険センターからの紹介で大病院で受診することになりました。
そこで長男の症状を正直に話しました。
まだ指差しが出ないこと、言葉も出ていない、こだわりや癇癪がひどいことなど全て話しました。
このときはっきり診断名はつきませんでしたが、やんわりと「自閉的傾向」という感じでした。
分かってはいたもののやっぱりショックでした。
その日はMRIや脳波の検査をしました。
特に脳波の検査は本当に大変でした・・・ごめんね、怖かったよね( ; ; )
この時点での長男の発達程度はIQ48「中度の精神遅滞」、言語能力は「生後11ヶ月」だった。
ただ私はこんな数字なんかどうでもよかった。
治るのか、治らないとか未来を知りたかった。もっと言えば「治る」と言ってほしかった。
でも私以上に夫はもっとショックを受けていた。
夫の日記を見るまで知らなかったことだった。
日記には
「(長男)に納得のいく人生を送らせるために父親としてできる限りのことをする。
とにかく楽しい人生にしてやる
(長男)が起こす奇跡を後押ししてやる
まだ俺は(長男)が健常者の域に達することを諦めてはいない。
(長男)なら奇跡を起こせる。絶対に」
こう書いてあった。・・・泣いた。
未来に向かって
私も夫も精神的に打ちのめされました。
しかし、どんな子供でも未来があります。
決して平坦ではない道ですが、私たちは長男のために決して諦めることなく、長男の起こす奇跡を後押ししていきます。無謀なのは承知の上です。

私たちは決して諦めない
以上です。最後までごらんいただき誠にありがとうございました。




コメント